島原観光しまくり

雲仙から島原行きのバスに乗り、終点の島原駅で下車。島原には鉄道があるので当然何度も訪れているが、駅前にある島原城はこれも修学旅行以来の訪問になる。島原城は小藩には分不相応な巨大城郭で、あの「島原の乱」において一揆の大群に攻撃されても落城しなかった難攻不落の城である。今改めて見ても、深くて幅広の堀、垂直に近い城壁、どこを見ても堅固。これはスゴイわ。でもこれの建設のために領民から税を搾り取った。それも乱の原因の一つだ。
本物なのは城壁だけで天守閣はのちの建築でコンクリ造り。これには修学旅行の際に入館したので今回はスキップ。もっとも展示物についてはほぼ忘れたが(^_^;) むしろ本丸にやたら彫刻が立ってるのが気になる。これらは長崎の平和記念像を作った北村西望の作品。たしかにどれも平和記念像に感じが似ている。
城内の店で昼食。「六兵衛」という謎の食べ物をいただく。サツマイモを原料にした麺類で色などは蕎麦にちょっとだけ似ているが食感はもちもち。ただ少しプチプチとよく切れる。
食事の後はデザートでしょ、ということで嫁が以前行ったことがあるという、しまばら水屋敷という店に行く。ここは島原名物「かんざらし」の店で、かんざらしとはもちもちっとした白玉みたいなやつ(^_^;) 敷地内に大量の水が沸く水源があり、とにかく水がきれい。
市内を興味の赴くままにあちこち歩き回ったが、涅槃像が名物の禅寺に行った時にシュールな気持ちになった。そこにあるのは日本最大の涅槃像とのことだったが、それよりもその隣に建ってる二つの墓に目が釘付け。それは…板倉重昌松倉重政の墓だった。
板倉重昌は「島原の乱」勃発時の最初の幕府軍総大将。しかし小藩1万石の大名だったため、傘下の黒田や鍋島等の大身の大名を統率できず、戦果も上げられず。幕府内の大物・松平信綱を大将とする増援軍が派遣されると前途を悲観した重昌は総大将自ら先頭に立って遮二無二突撃し、ついに戦死した…。
一方、松倉重政島原藩の藩主として島原城を建設した本人。つまり乱の原因を作った一人である。乱勃発時は子の勝家が当主で、勝重は江戸時代唯一の「斬首された大名」となった。
この二人が仲良く墓を並べて…って仲良くはないかも。きっと重昌が重政に苦情を言っているに違いない。ってどっちもシゲマサで紛らわしいな。