【お盆特別企画】1985年8月旅行記その10:遠軽から釧路まで

急行「大雪3号」を遠軽で下車したが、時刻は3時56分。にもかかわらず、外は既に明るい。さすが北海道、ビックリだね。そして名寄本線の始発列車に乗って中湧別に移動。中湧別は4方向に線路が出ている鉄道の要衝だったが、今は全ての線路が廃止になってしまった。中湧別からは湧網線の始発に乗って佐呂間に行く。この路線はサロマ湖畔を走る風光明媚な路線で、湖側に席を取って外を見ていたらサロマ湖の向こうから朝日が昇ってきた。なんとも素晴らしい景色。心が洗われます。
佐呂間で降りて反対向きの列車に乗って折り返し、サロマ湖を再び堪能。この列車は湧別行きだが、湧別とはさきほどの中湧別からちょろっと海側にのびた名寄本線の支線の終点である。湧別ではほとんど時間も無く同じ車両が湧網線網走行きとなって折り返す。つまり、湧網線中湧別−佐呂間間は早朝に1往復半も乗車し、そのたびにサロマ湖の美しい風景を存分に堪能したというわけ。なお、佐呂間から先の網走側は意外とサロマ湖が見えなかった気がする。湧別から網走まであんまり距離無いような気がするが、この列車は途中長時間停車しながらもたっぷり3時間かかった。
そして網走ではたった4分の乗り換えで釧路行き急行「しれとこ1号」に乗車。せっかくの網走、全く堪能せず。2時間も乗って、標茶で下車して標津線根室標津行きに乗り換え。ここまで連日の快晴であったが、夏の道東名物の濃霧にやられて景色が白一色。終点の根室標津でかなり時間があったにもかかわらず何かやったという記憶が無いので、何もないところでただじっと折り返しの列車を待っていたのか。
中標津厚床行きに乗り換えるが、ここがますます濃霧で白一色。本来ならば沿線は牛の牧場だらけでさぞかし広大な風景が見られたはずが…。標津線は1989年4月末に廃止、私は高校を卒業したタイミングでお別れ乗車などできるわけも無く、標津線についてはただ乗っただけという残念なことになってしまった。
厚床到着時既に18時前、以降は日没終了だが乗り潰しは続行しなければならぬ。敢えて根室行きに乗って終点まで行ってから、急行「ノサップ4号」で釧路に折り返し。釧路からは急行「まりも」で一晩過ごした。