帰宅困難区域を通り抜ける

ようやくここから進路を南に向けることになるが、その前に海辺に行ってみようということで、原町から東に行った渋佐海岸というところに行ってみた。まあ、想像通りそこは何もなくてひたすら護岸工事をしていた。そこから南下してみたら、何の予告も無しに突然通行止めに行きあたった。まあ、そんなこともあろうな。おかしいのは、いかにも地元民ですという感じの軽トラが我が車の後ろをついてきて、一緒に行き止まりに突き当たってしまったこと。知らんかったんかい!
国道6号に戻って来た道を戻る。さっきとは逆で、やがて営業している店は無くなり人気もなくなる。浪江の知命寺交差点からさらに南下、いよいよ「帰宅困難区域(高線量区間を含む)」を縦断する。特に注意書き等は見当たらないがここでは駐車できない、窓開けられない、通り抜けるだけで何もできない区間である。すべての脇道や民家商店への入口は封鎖され交差点での右左折は基本的にできない。曲がれない交差点の信号は黄色の点滅、たまーに赤信号で停車させられる交差点もある。そこは復旧工事の出入り口であり、許可を得た車しか入れないわけだ。当然ながら入口には警備の人がいるが、ものすごい重装備で立っている。大変な仕事だ。
そういえば常磐道国道6号を走っていてよく目にする看板がある。それは「獣注意」である。獣の上に「猪」を上書きした看板も多く、人のいなくなった土地で猪等の獣が幅を利かせていることがよくわかる。今は昼だから獣の姿も無くなんということはないが、きっと夜になると街灯も無く真っ暗闇を猪に衝突しないよう注意して進む羽目になるのだろう。
沿道に立つ商店だが、地震に遭遇したままの半壊状態のものは少ない。コンビニなどはちゃんと窓や扉に板張りをしているものが多い。それはそれで廃屋の雰囲気を増していてアレだが、一店舗だけ被災したままの姿を維持したコンビニを見た。ガラスは割れ扉は半開、中の商品もそのままだった。あの状態で4年も…。カーディーラーの場合は大きな窓ガラスが全壊していて車のカタログが散乱していた。なんとも酷い有様で。ホームセンターのコ▼リはこの地域で多数展開していたらしく、やたらたくさん店舗を見た。こちらも商品引き上げなどできるはずもなくそのままだった。
極め付きは全町避難している双葉町の市街地に入る道に立つ看板。「原子力明るい未来のエネルギー」…これ以上物悲しいものはない(;_;) 聞けばこの看板は撤去が決まったとのこと。一部に反対者もいるようだがこれは明らかにショックやで。撤去した方がいいと思うが、敢えて残してこの物悲しさを強調することで事故の悲惨さを訴えるのもアリかもしれない。