福島に行く2

驚愕しつつ浪江の中心部の知命寺交差点まで来た。ここで国道6号線に行きあたるが、右に曲がっていわきに行って飯を食うか、左に曲がって相馬方面に向かいつつ飯を食うか。右はしばらくの間「帰宅困難区域」になるので当分飯にはありつけそうにない。ので、相馬方面に行けばそのうち食事もとれるだろうと思った。
…という認識も甘かった。帰宅困難区域ではないが行けども行けども無人地帯。店舗は全て閉まっており誰もいない。小高のあたり、低地は「津波浸水区域」の看板が立っており、その周囲の建物はキレイに建替えたものもあるらしいが、無残に下半分が柱だけになった建物もいくつか放置状態。天気が良くて空も海もきれいで景色もいいのにこの空虚な感じは一体なんだ?
結局、人の集まる市街地にたどり着いたのは、南相馬市原町(はらのまち)であった。常磐道を浪江で降りないで南相馬まで来た方が早かった。もっとも、浪江で降りたためにいろいろな光景を見ることができた。そういう意味では浪江で降りて正解だった。
原町の道の駅で飯を食おうとしたら、小さい食堂にこれでもかとばかりに行列ができている。なんでだ?観光客が飯食う場所が無くて殺到しているのかと思ったが、よく見ると客は老人ばかり。地元民なのか?仕方がないのでそこではお土産だけ買って、別の店を探す。街を外れそうになったのでUターンしようと思って入った敷地がたまたま洋食屋の駐車場だったのでそのまま駐車して飯を食った。たまたま入ったのに飯がおいしくてラッキーだった。特に嫁はカレーを激賞していた。地元民も、道の駅の安い食事もいいけどおいしい洋食屋にも行こうよ。
せっかくここまで来たので、JR原ノ町駅にも寄った。地名は原町だが駅名は原ノ町である。JR常磐線地震津波原発事故の影響を受けて線路はズタズタ、この近辺では原ノ町−相馬間だけ運転を続けている。そこから北も南も線路は復旧していない完全孤立路線である。
そんな原ノ町駅の構内には651系スーパーひたちの4両編成と415系4両編成の2編成があの日以来ずっと留置されていた。651系はここから上野駅に折り返す予定だったのが不可能になり、行先表示に上野と掲示したまま4年経ってしまった。白い車体はすっかり黒ずみ、過ぎた時の長さを示している。もし線路が繋がってここから出られたとしても、既に常磐線の特急はE657系に変わっていてこの651系に居場所はないのである。