ラスト?北斗星その2

目覚めたのは函館到着前である。外はまだ暗い。函館到着後、鉄がはしゃいでいあるのがなんとなくわかる。機関車の付け替えがあるからな。
函館発車直後から、私は昨晩買った弁当を持って通路の補助椅子を占領した。人でいっぱいの寝台車、自分は上段寝台、となると朝は補助椅子を確保しないと居場所がない。しかし補助椅子はひと区画に1つしかないので早い者勝ちである。これは子供のころから乗っている知恵である。
というわけで気合入れて確保したはいいが、他の乗客はほとんど補助椅子は使わない。どうも補助椅子争奪戦は不発に終わったようだ。ニワカは補助椅子も知らんのか…というわけではない。使う人は使う。しかし大半は家族かグループなので区画内で和気あいあいできるというのが一点、6号車ロビーカー(シャワー室もここ)や食堂に出かける人がいるのが一点(ロビーは混んでるはずなので居心地良くないはずだが)、肝心の補助椅子がある通路側が山側であり、景色がよろしくないというのが一点。特に3番目は辛い。せっかく席を取っても見える景色がつまらんのではどうしようもない。「北斗星」は北海道内で個室や寝台側の窓が海側を向くよう向きをそろえてあるようで、通路側はつまらんのである。私も函館本線で山側を見ていた記憶があまりなく、「北斗星」に限らず昼間の「北斗」等でも常に海側にいたような気がする。
というわけで補助椅子に座って山側の景色を見つつ、ときどき海側の窓をチラ見。天気が悪いので海が鉛色していてあんまり景色良くなさそう(^_^;) 晴れてれば噴火湾の反対側も見れたような気がするが。それにしても、今更ながら補助椅子は補助椅子でしかないと認識を新たにした。とにかく座り心地が悪く、尻が痛い。壁から引っ張り出す折りたたみ椅子なので、クッションもほとんどないし背ずりは直角、面積も極めて小さい。私は子供のころ補助椅子が好きで、「あさかぜ」に乗ってても朝起きてから終点に着くまで何時間もの間ずっと補助椅子に座って平気だったのだが、今は辛い。あの頃は寝台特急に乗れること自体が幸せで何が起こっても楽しかった。今でも寝台特急に乗れること自体は幸せだが、年食った分いろいろと要求レベルが上がってしまった。「あさかぜ」の時は通路側が海側だったので景色がずっと良かった(九州内は山側になってしまうが)のもある。
そんなつまらん山側の中でぜひ押さえておきたいのは国縫駅通過直前に見えるはずの国鉄瀬棚線の廃線跡。…と思ったが見逃した(;_;) そもそも冬場なので積雪で廃線も埋まっており、探すのは至難の業だと後で気づいた。室蘭本線に入って、日本を代表する秘境駅の小幌の通過時の一瞬は見逃さなかった。東室蘭到着前、本輪西駅の駅前にはJRAの場外馬券売り場、ウインズ室蘭があるはずだったが、それらしい建物も何も見えず。まさかウインズが廃止?…と思ったら、後で調べたところ2013年5月26日をもって廃止だそうだ。そんなに前かorz 馬関連でいえば、室蘭本線の沿線にはかの有名な白老ファームが見えるのだが、馬は海側にいたorz 山側は牧草地なのか、広い敷地が雪に埋まったまま。…まあいいけど。
そんなこんなで列車は順調に走り続ける。函館到着時に3分ほどの遅れがあったが函館停車時間を短縮して定時運行を続けてきた。個人的には、2時間くらい遅れてもどうということはないが(^_^;) むしろ遅れろ(^_^;) と思っていたら、新札幌を過ぎたあたりで急にスローダウン。なにやらあったらしいが、終点間近で遅延してもあんまり嬉しくない。結局10分ほど遅れて終点札幌到着。最後まで車内は盛況だった。お祭り騒ぎが終わってなんだかさびしい。
到着後、最後尾車である一号車から順に写真を撮りながら移動していって、先頭の機関車のところまで行ったら鉄がいっぱい!一般人ももちろん大勢いるが、みんなで記念撮影大会である。ところが機関車はホーム端いっぱいのところに停車していてヘッドマークの付いている先頭部分を撮影できないという嫌味仕様である。まあ撮影出来たら鉄も一般人ももっと群がってうっとおしいことになるから仕方がないか。ところで機関車DD51重連という迫力ある姿も、もうそろそろ見納めである。大昔のSLブームのころにSLを追い出す役目を担ったDD51を鉄どもが「赤文鎮」「赤豚」と言って敵視していたというが、今やDD51が全国的にも希少になり人気も出ているようである。おそらく「カシオペア」がDD51の最後の晴姿になると思う。今目の前にいるDD51には「函」の区名札と重連運用を示す「重」の札がささっており、私にとっての見納めになりそうである。