[旅日記]4 高山本線代行バス 旬のものは早く味わわないと

本日は5時に起床し、入浴の後準備を整えてさっさと駅に向かう。いやー、9月だというのに寒い寒い。こんな中をシャツ一枚で歩いている私はアホに近い。まだ薄暗い高山駅を6時きっかりに普通列車角川ゆきが発車。車内には、怪しげな外国人夫婦と私しかいない。大きな荷物を背負っているが、山にでも登るのか?
昨日、鵜沼で乗車券を買うときにあまり考えも無く「富山まで」と言ったら運賃が5200円だという。ので、高いなと思いつつ払おうとしたら、駅員が「米原回りで富山ね」と念を押す。鵜沼から富山に行くのに米原回りの切符を出せなんていう頓珍漢がどこの世界にいるのか?と目をひん剥いて驚いて「いや、まっすぐです!」と強調。すると今度は駅員のほうが驚いて「途中が自動車だけどいいの?」というので「代行(バス)でいいです!!」と力説。3800円程度のちゃんとした乗車券をゲットした。
すなわち、ここから先、富山方面に向かうと途中の角川(つのかわ)から猪谷までは列車代行バスになっているのである。高山本線は2年ほど前の集中豪雨で壊滅的なダメージを受け、現在も復旧工事中である。途中の飛騨古川から客もパラパラと乗ってきて、30分ほどで終点に。角川は山間の小駅で周囲に人家もまばら。さて代行バスとはどのようなもんじゃいな…って、これか?濃飛バスの、まるでマイクロバスのような寸足らずな車体のバスだ。しかも古い。なんだかなあ。
これに、先の外国人夫婦も含めて10人ほど乗ったか。ほぼ全員がマニアと思われる。外国人も、わざわざここまで乗りに来たのだろうか。ヒマなことだ(^_^;)。ま、マニアじゃなきゃ朝の6時からこんな山奥の代行バスに乗ったりしないよな、と。
全行程で1時間以上もかかる。いったいどんな旅路なのだろうか。駅を出てしばらくすると、おおお、やっとるやっとる、流された鉄橋を修理した後が見える。見たことも無いような新品ピカピカのガーダーが橋脚の上に乗ってる。その次の橋は橋脚ごと逝ってしまったようで、新しく橋脚を建てる工事を行っていた。これは、時間がかかりそうだ。道はいちおう国道だけど、ところどころ道幅が狭くてとても国道らしくない。たまに道幅が広がったと思ったらすかさず471と書いた逆三角形の標識が現れる始末で、じゃあさっきの極細道路は何なんだよと突っ込みたくなる。
最初の停車「駅」は坂上、その駅近くの農協みたいな建物の前に停車。地元の乗客が一人だけ待っていた。他の駅から客は乗ってこなかったので、事実上「お客さん」はこの一人だけで、あとは閑人(^_^;) もちろん降りる客は一人もいなかった。ここまではバスは淡々と走り、時間も余して長時間停車する余裕があった。しかし坂上を出ると一変。さらに道は険しくなり、しかも道路もまだ仮復旧状態。線路が流されて無くなってたり、道路も国道が逝ってしまった箇所は近くの路地を繋いだり鉄骨作りの仮橋を架けて対岸に迂回したり、とかなり悲惨なことになっていた。
打保(うつぼ)駅にはJR東海の車両が2両、留置されていた。哀れ運転中に災害に遭って両側がやられたので脱出不能になり、線路が完全につながるまで放置となった車両である。残念ながらこの駅(バス停?)はほとんどノータイムで出発したので、写真を撮りにいけなかった。次の杉原もすぐに発車、時間はたっぷりとってあるはずなのだが、途中で困難なすれ違いがあったり交互通行で何分も待たされたり迂回したりと時間がかかるので、仕方が無いか。狭い道で向こうからクレーン車が来た時には「終わった」と思った…クレーン車が後退して事なきを得たのだが。
終点の猪谷に近づいて、国道41号と合流した時には正直ホッとした。それほど道中は緊張の連続だった。さほど期待していなかった代行バスだが、これはこれで面白かった。線路が復旧すれば永久に乗れないバスだしね。こういう「旬のもの」は、なるだけ早いうちに乗ってしまうのが良いのだろう。道路が復旧していけば徐々に楽な運行になるはずだから。

[旅日記]5 猪谷背斜向斜

猪谷には7時45分に着くが、次の列車はなんと8時53分。こんなところで一時間待ちかよ…。JR西日本の富山行きが出発していったら、無人駅のこの駅にいるのは私と代行バスの運転手しかいなくなった。猪谷…岐阜県との県境だが、ここは富山市市町村合併でこんな山奥まで県庁所在市になってしまった。それはさておき、この暇な間にせめて朝食でも取りたい。ところが、今日は土曜日ではあるが、祝日(秋分の日)でもある!だから店なんか開いてない!!…のは承知の上で、散歩がてら歩き回ってみた。
猪谷駅の入口となる国道41号の交差点のところに橋がかかっており、神通川を渡って対岸に行ける。その橋のたもとに看板が立っていて、「国指定天然記念物 猪谷背斜向斜」と書いてある。…なんだそれは。漫才のコンビ名か?後でググってみたら全く同じ感想のブログが見つかったが、知らないで見た人は同じことを思うのだろう…(^_^;)。
一言でいうと学校で習った地層の褶曲というやつなのだが、それの背斜(上に曲がってる)と向斜(下に曲がってる)が同時に見られる箇所というのは非常に珍しいそうだ。それはいいのだけれど…ダム建設のため水没して一部しか見えません、て書いてあるが。おいこら!!天然記念物を水没させていいのかコノヤロー!せっかくここまで歩いてきたのに!!(駅からすぐそばだが)
仕方なく対岸まで歩いていったが、本当に褶曲が水没していて一部しか見えない。ツマンネ、と戻ろうとして、橋のたもとにある雑貨店を見たら…開いてる。祝日なのに?朝8時なのに??家もまばらにしか建ってないのに、随分と勤勉なお店だ。ありがたくパンを購入して朝食とした。

[旅日記]6 神岡鉄道でオープンエア堪能

ひとしきり猪谷駅前を歩き回ってから駅に戻り、さらにブラブラしていると代行バスがもう一台来た。こちらはマイクロなんてとんでもない、貸切タイプの大型バスだ。そして富山からのJR西日本の列車が来て、客の大半は代行バスに乗って出て行った。…バス2台体制か。へーへーへー。
そして待ちに待った、神岡鉄道の列車が入線してきた。神岡鉄道は一度乗っているが、トンネルが多いという印象しか残っていない。ずいぶんとボロい車両だなと思ったら、昭和59年製だった。もう20年以上経っているのか…しかも下回りはキハ20の流用だから、もっと古いのだ。富山方面からやってきたマニアやら家族連れやらを乗せて、ついに出発。その家族連れも父親がマニアらしくて、家族の中で一番はしゃいでる。
神岡鉄道に乗って、数年ぶりの快感を味わった。非冷房車なので窓を全開にして、窓から顔を出して風を堪能!!ああ、昔はこういうスタイルが当たり前だったなあ。今は冷房車なので、窓を開けるなんて迷惑この上ない。そもそも最近の車両は窓が開かないし、昨日乗ったJR東海のキハ48は冷房改造されていて下段窓が固定されている。だから今となっては、こうして窓を開けて風を浴びて気分爽快になることはほとんどないのである。ああ素晴らしいかな神岡鉄道。もうすぐ廃止になるなんて残念極まりない。
…が、この列車にしても、乗っているのはほぼ100%閑人(^_^;) 地元の人にはほとんど使われていない。沿線には国道41号と471号が全区間で併走しており、真冬のよっぽど雪の多いときでない限り全ての用事は車で足りる。それでも昔、神岡鉄道国鉄から分離した頃にはまだ積雪で道路が閉鎖されることがあったそうだが、去年は道路閉鎖はゼロだったそうだ。それじゃ存在価値は無いわな。
私の印象どおり、猪谷を出てからトンネルばかり。ただでさえ寒いのにトンネル突入と同時に寒風が猛烈に吹き込んでくるから寒いの何の。こんなことでくじけていたら鉄道マニアの名が廃るので必死に我慢だ。この激烈な寒風もトンネルをディーゼルカーで走ることによる轟音も全て味わうべきもの!!全身で受け止めろ!!
飛騨中山、茂住、漆山と人のいない…いや、写真鉄が車で乗り付けて三脚立てて待ち構えているのがいるけど…を過ぎて、やっと神岡鉱山前到着。ここでタブレットを交換。いまどきタブレットかよ、とこれまたうれしい(^_^)。そして神岡の市街地を過ぎてアッサリと終点、奥飛騨温泉口に到着。温泉口とはよく言ったもので、奥飛騨温泉はここから車で一時間くらいかかるらしい…。

[旅日記]7 さよなら神岡鉄道

次の猪谷ゆきはまた一時間以上待たなければならず、今乗ってきた列車の折り返は神岡鉱山前までしか行かない。あまりにもヒマなので、その鉱山前までの一往復も乗ってしまう。途中にある駅は神岡大橋と飛騨神岡なのだが、なぜだか知らないがこの辺の駅で乗降する鉄道マニアが何人もいる。昔からわけわかんない駅で乗降する閑人はいたけど、なんだか異常だな。こいつらもしかして、横見浩彦氏が達成した「全駅下車」でも挑戦しているのだろうか?
神岡鉱山前まで乗った閑人は私を含めて3人、駅にもう一人閑人がいたので計4人のマニアが、鉱山しかないこの駅で一時間も列車を待つ羽目になった。仕方が無いので私はまた散歩を始めた。できれば、駅前の国道を走るバスに乗って、隣の飛騨神岡駅まで移動したい。バス停があるはずだが、バス停はどこだ?探し回る。おっかしいなあ、富山方面のバス停はちゃんと立ってるのに、反対向きのバス停が無い。
…と、向こうからその乗りたかったバスが来る!おーい、どうやって乗るんだー!?むなしくバスを見送った後、富山方面のバス停に行ってみたら、こんなことが書いてあった。「平湯・上宝方面(私が向かいたい方角)のバスに乗る方は手を挙げて知らせてください」…やられた。バス停のポールが無いんジャンorz まず最初にこのバス停で情報収集すべきだった。しくじった。
さらに散策を重ねて、この駅から鉱山に向かう貨物線を見物。こちらは一足お先に廃線状態になっていて、草むしていた。神岡鉄道が生き残った大きな理由は、この鉱山への濃硫酸輸送にあった。危険物を輸送するのに国道だけで大丈夫か?という配慮があったそうだが、しかしその貨物輸送も2004年に終了。元から旅客が少なかったため鉄道の命運が尽きたのである。
再び奥飛騨温泉口に行く列車に乗り、終点で折り返す。鉱山前と温泉口の間は二往復したが、まだ堪能し足りない。しかしいい加減に去ってよそに行かねば。さようなら神岡鉄道、もう乗ることもあるまい。
また寒風と轟音を堪能しつつ猪谷に戻る。10時45分発の列車はどこから沸いて来たのか随分客が多かった。といっても、座席を埋めるにはまだ少なすぎるが。出発時点でとりあえずBOX席が埋まる程度。ということは、途中駅から乗ってくる全駅下車鉄の座るところが無いわけで、私のBOX席に侵略してきた。ちっ、仕方ねえな。そしてそのマニアは、茂住で降りていった。ううむ、本格的に降りてるな。しかし茂住なんかで降りてこの後どうするんだろうか。

[旅日記]8 富山ライトレール

猪谷に戻ってきたら、速攻で待っているJR西日本の富山行きに乗る。こちらは近代的なキハ120、の350番台とかいうものでBOX席が4つある。そのひとつを速攻でゲット。猪谷出発時点では席が半分埋まるくらいだったが駅ごとに客を増やして、富山につく頃には大勢客が乗っていた。
富山駅は工事中で、かつて富山港線が発着していたホームが消えてなくなっていた。帰りの切符をまだ手配していなかったのでここで切符を購入。思えば昨日鵜沼で切符を買うときに「鵜沼から富山経由、東京都区内」としておけばもっと安く済んだのだが。まったくあてずっぽうにやっているなあ。指定席もゲットできたが、残念ながら窓側というわけにはいかなかった。
富山駅北口は裏口であったが今はきれいに整備されていた。その一角に富山ライトレール富山駅北電停があった。今年、JR富山港線を改装して、富山駅側の一部区間は新しく軌道をひいてLRT化したものである。特に軌道を中心とした最近の鉄道復権の流れを先取りしている。一部の新規開業区間のために乗り潰しに来たわけだが、もちろん終点まで全線を乗りとおすつもりだ。
ちょうど入線してきた車両は、まるきり日本らしくない斬新なもの。車両だけではなく電停のデザインにも凝っていて、どの駅の案内図もとても見易い。運賃は…土休日は終日100円!うおっ、そりゃ安い!乗客も多く、とても繁盛しているイメージである。
富山駅北から奥田中学校前までは新規に敷設した軌道で、さすがに振動も無く乗り心地が良い。自動車交通全盛の今、道路の真ん中に線路をひくのは勇気ある決断だったかもしれない。奥田中学校前からもと富山港線の線路に入るが、いきなり振動が激しくなる。さすがに線路を全部ひきなおすまでの気合は無かったか。しかしこの超低床車ではバネが短すぎるのか、ドシンドシンと突き上げがきつい。まあ、仕方が無いのだけれど。
富山港線の駅やホームはほとんど撤去されて低床にあわせた乗り場が新設され、昔の面影はほとんど無し。駅が増設されて駅間が短くなったので、かつて国鉄で一番駅間距離が短いので有名だった大広田と東岩瀬の間も特段短くは感じない。その東岩瀬の旧駅舎とホームはなぜかまだ撤去されていない。保存するつもりだろうか。終点の岩瀬浜はきれいサッパリ整備され、駅前ロータリーも作られている。市が駅前だけではなく広範囲に整備したらしく、遊歩道が線路沿いに続いていた。
ちょっと振動がきついが乗り心地は慨してよく、15分おきの運転なので便利であり、しかも200円(平日昼間と土休日は100円)と激安で、その結果お客さんがたくさん乗っている。帰りの電車には途中から小学生の大量乗車があって満員状態となったが、子供は半額(土休日は50円)だからじつに気軽に利用できる。採算も大事だが、まずは使われないことには存在価値が無いからのう。それに、乗客の評判も良い。お年寄りが「フランスの電車みたいで楽しくなってきますね」と話しているのを聞いたが、アンタ乗ったことあるのか、すごいな…という突っ込みはさておき、好感を持って受け入れられているというのは実にいいことだと思う。
それと、ここにも意外にたくさんの鉄道マニアが沸いて出ていた。ここにはそんなにおるまいと高をくくっていたのでちと意表を突かれた。まあ、JR線の軌道化などいろいろ話題の路線だし、この新しい取り組みの数々はマニアこそ必見。志の高いマニアなら是非訪れたいところである。

[旅日記]9 そして帰路はアッサリと

富山駅に戻ってきたら、あと20分しかなかった。今から昼食にするとして、時間がかかる店に入るとちと面倒なことになるかもしれないので、駅そばで済ませてしまった。ああ、結局こうなるのね。
富山から特急「はくたか13号」で越後湯沢に向かう。早朝からの活動で眠くなっていたところに通路側の座席に座ったことも影響して、ひたすら寝ていた。681系は去年の3月にのと鉄道一部廃止の際に乗ったが、いつ乗っても新幹線のような乗り心地や設備の車両だなあ、と。
越後湯沢からは新幹線で一気に帰路に着く。Max「とき」の一階席で、これまた車窓の景色とは無縁な席なので寝るしかない。これで帰ると17時半ごろには東京についてしまう。以前なら夜遅くまで列車に乗り続けていたものだが、無理はしない。とはいえ、友人Sに「まだ乗り足りないんじゃないのか」などというメールをもらうと、ああそうだったかもしれない、などと思ったり。うーむ、今回は寝坊して昼前に出発するし、帰りは早いし、私もずいぶんとヌルくなったものだ。もうひと粘りするなら、糸魚川から大糸線で南下して松本から「あずさ」で帰るパターンか。糸魚川南小谷の間は私の望みの非冷房車も走っているはずだし。…うーむ、そう考えるとちょっと頑張ればよかったかな、と思ったりもしたが、まあそこはまたのお楽しみにしておこう。

今飲んだ

<飲酒運転>警官前で缶酎ハイ「今飲んだ」と主張 逮捕」…警察に飲酒チェックされる寸前に酒を飲み、「今飲んだ」と主張して飲酒運転を逃れようとした男がタイーホされた。直前に飲んだ程度では絶対に出ない数値、0.7mg/リットルの大量のアルコールが検出されて、まったく言い逃れできなかったんだと。
法学部卒のT氏が以前からこれと同様な飲酒検知回避の方法を主張していて、ホンマかいなといぶかしく思っていたわけだが、やっぱりダメじゃん。まあT氏はとても頭の良い人物なので、法の不備は指摘しても実行するようなアホではないと思うが。T氏は口の減らない男なので、ダメだったじゃんと詰問したらきっと「そんなに大量に飲んでだら、直前に偽装してもダメでしょう」などと言い訳するに違いない(^_^;)
アルコールが血中を巡り呼気に含まれるまでのタイムラグとか、そういう論理的なことまで理解せずに「今飲んだと主張しさえすれば逃れられる」と単純に信じたアフォに相応しい結末ではある。一般人はそもそも飲酒運転はしないから、考える必要も無いことだな。