相変わらずやる気なし

ああ、今日は目が覚めるとまだ6時半だったので「…なんで平日より早く目覚めるんだ」と不愉快に思いながら二度寝。次に気がついたときは9時。おお、競馬だ…とりあえずテレビをつけて横になったら、次に気がついたときには11時半だったとさ。あっはっはー…
それでやる気なくして今日はもう一日篭城。PATに入金していないので馬券も買えない。馬券を買えないときに限って、レースの予想は当たる。ああ、エルムS買いたかった…
せっかく入手したライカレンズ(=パナのデジカメ)もまだ使ってないし、明日こそはやる気を出して…どこに行こう?とりあえずクリーニング屋かな。

ああ懐かしのライオンズよ

ネットサーヒンしててこんなサイトを見つけた。
失われたライオンズの世界へようこそ
…懐かしい。昭和45年から昭和53年までの、最低だったころの「ライオンズ」に関するサイトである。これを見ると、今年の楽天イーグルスがいかに幸せかということと、楽天も油断するとこうなるよということがわかる。あの時ライオンズに関わったものにはひたすら懐かしく、そうでないものには示唆に富む良サイトと言える。
私が初めて親に連れられてプロ野球の試合を見に行ったのは、おそらく昭和52年(1977)の平和台球場であったと思う。その当時のチーム名はクラウンライターライオンズであった。その当時は連れて行ってもらうだけで嬉しかったから気がつかなかったが、ライオンズは猛烈に弱かったのである。ネット裏の父が勤務していた会社が購入していた年間指定席で観戦したこともあるが、客が全くいないので何してようが無問題だった。近くでガラの悪いオヤジが野次を飛ばすので真似してヤジって親に怒られた。内野席で観戦したときだったか、試合終了と同時に観客が一斉にネットを登ってグラウンドに乱入するので、私も真似してネットを登りグラウンドを走り回って、外野席から外に出たこともあった。
クラウンライターライオンズが存在したのは昭和52、53年の2年のみであった。その時小学校1,2年生であり、クラウンの前身太平洋クラブライオンズのことは名前しか知らなかった。私が人生で最初に親しんだ球団、クラウンライターライオンズはあまりにも弱く客が少なく経営が成り立たないため78年暮れには埼玉県に売られてしまった。ライオンズに深くコミットしていた人ほどその衝撃は深く悲しかったに違いないが、たった2年ながら子供であった私もそれなりにショックであった。
遠くで成立した西武ライオンズも出来たばっかりの時はそれはそれは弱かった。阪神等とのトレードでクラウンに在籍した真弓、若菜、竹之内などの選手が一斉に放出された時もショックだった。徐々に愛着も薄れやがてはプロ野球そのものに対する興味も衰えた。
小学生の間はライオンズの帽子をかぶって登校していたが、最初の2年はクラウンの赤帽、後ろ4年は西武の青帽であった。その懐かしいクラウンの帽子をなんとこのサイトでは頒布しているとか。…正式なものじゃなさそうだけど大丈夫なんだろうか?まあ、細かいことは考えないことにしよう。最近、このクラウンの帽子のようなデザインのメッシュキャップが流行になっているようだが、まさに私が持っていたクラウン帽子がメッシュタイプだったんだよねえ。ああ、懐かしい。どこかに売ってないものかねえ、CLマークの赤いメッシュキャップ。

天下の米国もその程度ですか

今週は米国に巨大ハリケーン「カサリーナ」が上陸して甚大な被害がでた、そうだが…台風が通過して大変な被害がでているのにも関わらず、その後の対応があまりにもお粗末なのは正直言って不思議なんだが。被害がでているところは、あの超大国の米国なんだよな?何万人も避難していて、食糧や水の確保が大至急必要で、電気も止まってるから病院などは特に急いで対応しないといけないんだよな?災害が起こってもう何日も経つのに、状況が全然改善しないのはなぜかいな?
どこかの極貧国だったら外国の救助が来るまで手をつかねて傍観、なんてこともあるかもしれないが、あの米国がでしょ?いくら国土が広くて被害の範囲もでかいと言っても(なんでも日本の本州に相当する広さで被害がでたとか)、本州にあるだけの数の都市が水没してるわけでもあるまいし、いかに米国といえども対応できる範囲を超えている、と言うほどでも無いように見える。ニューオーリンズとか特定の大都市の惨状をニュース等で見る限り、状況は悪化する一方で病院や避難所では死者も出ているとか。とても超大国で起こってる事象には思えない。
ハリケーンはたしかに巨大で凶悪だっただろうが、日本に来る台風と比べて極端に馬鹿でかく強力だったわけでもないらしい。風速60m/sってのはたしかにイヤだけどね。ああ、米国といえども所詮その程度なのかなあ、と少し落胆。

冒険もほどほどにしないとな

不思議ネタもう一丁。無謀にもアフガニスタンに旅行に行った日本人教師男女が遺体で見つかったそうだ。頭に一発銃弾を食らって死んでいたらしい。イラクで死んだK田君もそうだったが、いかにも外国人が着る洋服を着ていて猛烈に目立っていたらしい。うーん、せっかくK田君が身をもって「無謀な旅」がどれほど無謀か教えてくれたというのに、よりにもよって人にモノを教える立場の人が理解できなかったらしい。
彼らが死んだアフガニスタン南部はまだ戦闘地域であり治安もへったくれも無いというのに、そんなところに気軽に入っていくというのはどうかしている。まさか知らないはずはあるまい。だから不思議なんだがな…一言「平和ボケ」といってしまえばそれで終了だが、ボケすぎて何か重大な理由でもあるのかなと勘ぐってしまうよ。