驚愕の肥薩線の旅その1「はやとの風」の1

朝起きて支度してホテルを出た瞬間に溶けそうになる。さすが九州の真夏は厳しい。駅前徒歩1分のホテルに宿泊しておいてよかった。本日は9時17分発の吉松ゆき特急「はやとの風2号」から始まる。が、気合入れすぎて30分前には駅に来てしまう。さらに、駅に来て初めて「はやとの風」の出発時刻を間違えてて本当は9時27分であることに気がつく有様。暑くてたまらんが、ホームにいってみると昨日見かけた原色485系の特急「きりしま」号が止まっていたりしたので激写したりする。
しかしやっぱりヒマなので、いったん改札の外に出てお土産でも買うかと思い改札口に向かった。すると、新幹線と在来線の乗換改札口に大量の爺と婆が…「はやとの風」に接続している新幹線「つばめ」号が駅に到着したようだ。せっかく前泊して早めに駅に来たというのに、彼ら乗り継ぎ客より後の列に並んで乗車しては意味がないので慌ててホームに戻って乗車位置に並ぶ。というのは「はやとの風」は2両編成で自由席は1両しかない上に座席も少ないので、万が一多くの客が来て狙った席に座れなかったら後悔百万倍である。一日で済む行程をわざわざ二日に分けた意味はなんだ?それは今日の肥薩線の列車でいい位置に座って旅をするためである。特に「はやとの風」で。そういうわけで、列の先頭をゲットして暑い中我慢して並び、列車の入線を待ち続ける。さっきみた爺婆の団体はやはりこっちにきた。アブナイ…(実は指定席の客だったようだが)
入線してきた「はやとの風」号はいかにも暑苦しい真っ黒な塗色のディーゼルカー。特急ではあるが、車両はもともと普通列車用であり形式もキハ140およびキハ147のままである。座席は「つばめ」同様木製のリクライニングシートに替えてあるが、窓が開くのは元の仕様のまま。何より座席と窓割りが全く合っておらず、席によって景色が見やすい席と見難い席の落差が激しい。私が狙っているのはズバリ「海側で窓割が合ってる席の窓側」である。苦労した甲斐があって思い通りの座席をゲットできた。まずは満足。
去年、九州新幹線開業と同時に「はやとの風」が誕生した時、私は「こんなところに特急を走らせて一体誰が乗るんだ?」と思った。車両も普通列車の改造車だし。どうせすぐ廃止になるだろうから、こんな珍妙な列車は急いで乗らないとなと思っていた。それが意外に客足好調と噂が聞こえ、そして今日乗ってみたらなんと指定席は満席。自由席もほぼ座席定員ぐらいは乗っている。一体どこにそんな魅力があるのか?

驚愕の肥薩線の旅その1「はやとの風」の2

鹿児島中央駅を出発した「はやとの風」は一路、隼人を目指す。この区間はほとんど単線なので特急でも行き違いのために数分停車、というのが当たり前にあるのだが、この「はやとの風」はすべて駅に相手を待たせて通過していく。最優先で運転されるのか…普通列車の改造車なのに…。種別は特急でも走りっぷりはまさにキハ140・キハ147だなと。窓はガタガタ言うし、特急に乗ってる気はしない。
隼人でさらに客を拾い、いよいよローカル線・肥薩線に入っていく。途端に景色が山深くなる。肥薩線は明治時代は鹿児島本線として幹線の扱いであったがその後ローカル線に転落。数年前に乗ったときは列車本数は少ない、客はいない、スピードはのろい。で「これは廃止も近いか」と思わせる状況であった。今日、「はやとの風」はとりあえず満員。この差は一体なんだろうか?
山間の小駅、嘉例川に停車。まさか嘉例川が特急停車駅になる日が来るとは…。ここでいきなりマジック炸裂。「嘉例川では5分停車します」。列車の行き違いも出来ないこんな駅でいきなり5分も停車!乗客たちは続々と列車を降りて駅を散策。なんでも嘉例川の駅舎は明治時代に線路が開通した時に建てた駅舎を102年経った今でもそのまま使用されている、という古さが売りだそうだ。そのボロイ雰囲気を活かして、ボロイ印象はそのまま駅舎およびその周囲を整備したらしい。なかなか賢いことを考え付くやつがいるものだ。乗客たちは結構喜んで写真を撮ったりしているし、用もないのにクルマで駅に乗り付けて列車が発着していくのを見物している人もいる。
霧島西口あらため霧島温泉駅でも長時間停車。この駅は温泉郷からは離れてるはずで温泉とは無縁と言ってもいいほどだったが、駅の近くに新しい温泉施設が建てられているようだ。その温泉施設自身はクルマをあてにしているのは間違いないが、車窓から見えるという点で列車および温泉施設双方にいい影響がありそう。
もっとも驚いたのは終点の吉松である。吉松はもともと鉄道の町として栄えていたが、前回来たときは肥薩線も、分岐している吉都線も寂れ放題、駅自体も駅前も実に閑散としていて「次に来たときは無人駅になってるかもしれんな」と思っていた。それが…「はやとの風」およびこの後乗車する「いさぶろう・しんぺい」のお陰でかなり活気が戻ってきた。吉松駅前にも温泉施設ができており、駅から少し離れたところに置いてあった保存SL(C55 52)も駅前に移設されてキレイに整備されていた(これはいつ実施されたか知らないです)。まあ、復活するのはいいことだ。ホームにいた弁当売りは以前も見たような気がするが、以前は売る相手もいなかったのに今日は弁当が瞬間的に完売。以前とは全く違う風景がそこにあった。
想像したのとは全然違う「はやとの風」の繁盛ぶり。それは列車自身が観光の対象になっていることだ。わざわざその列車に乗りにヨソから客が来るという発想の転換の勝利である。それは次に乗る「しんぺい」号でますます明らかに感じられた。

驚愕の肥薩線の旅その2「いさぶろう・しんぺい」の1

観光列車「いさぶろう・しんぺい」は以前からあった列車だが、「はやとの風」と同時にリニューアルした。車両も「はやとの風」同様に改造により整備され、やはり真夏に見ると暑苦しくてたまらない真紅の塗装となった。下り人吉発が「いさぶろう」、上り吉松発が「しんぺい」という列車名で、当初は1両編成で運転されていたが、あまりにも好評なので2両に増結されているのだ。そんな調子なので、吉松で乗り換えるときにいい座席が取れなかったら困るなと深刻に悩んでいた。
そして、吉松に着いてから初めて知ったことがある。「いさぶろう・しんぺい」は全車指定席だったのである!!マジかーーー!!_| ̄|○。時刻表には一部指定席と書いてあったような気がしたのだが…。詳細はいまだに把握してないのだが、どうやらほんの一部の座席のみ自由席であとは全部指定席らしい。「はやとの風」での車内放送、駅での案内放送、時刻表の表記がいずれも違うことを言っており、混乱していてよくわからんのだけど…。そんなわけなので吉松駅で慌てて今から乗る「しんぺい」号の指定席を取った。
もう正直言って座席なんかどこでもいいから「座れればいい」という心境であった。ホームに多数の客がおり、みんなが指定券をもってると思えば私の取るべき座席が選べるはずがない。その上、吉松のマルス端末が低機能型らしく「席番の指定は出来ないからどこの席が出てくるかワカラン」と駅員が言う。(出てきた切符には「九・吉松駅POS発行」とある。)もう、取れれば何でもいいですから…
そして出てきた座席は、「景色の見える側の窓側」!!やった!なんとラッキー!!実際に車両が入線してくると、しんぺい号の車両はさっきのと違って木製ボックスシートであることがわかった。4人掛けのボックスシートだと半分の客は後ろ向きに座る羽目になる。しかも私のような一人旅の場合ボックスシートにすわると他の3人は赤の他人で気まずかったりすることもありえる。ところが私の取った席は進行方向に向いており、しかも4人席ではなくボックス半分の2人掛け席。で、窓側で景色もバッチリ見えるわけだ。全くツキにツキまくっているなぁ!馬券はサッパリ当たらないが、こういうときの運は極太である。まさにゴッドハンド。自分で自分が怖い。

驚愕の肥薩線の旅その2「いさぶろう・しんぺい」の2

いろいろな幸運が重なって思うとおりの座席に座った私を乗せて、「しんぺい」号はのろのろと出発。たしかに肥薩線のここ、人吉〓吉松間は昔から素晴らしい車窓の見られる区間として有名ではあった。しかし、この「いさぶろう・しんぺい」は列車のあり様が根本的に違う。
吉松を出ると急坂をノロノロと登りだす。車内はテープによる案内放送が延々と流れていて、沿線の風景が素晴らしいこと、肥薩線の歴史、かつて鹿児島本線として誕生した経緯などを細かく説明している。そんなこと客が興味を示すのか良くわからんが…。そこまでいうなら、例の後退事故のことはちゃんと説明するんだろうなあ?と思っていたら、ちゃんとテープで説明が入った。その事故とは…
昭和20年8月、終戦直後の復員列車が復員兵など乗客を満載してこの急坂に差し掛かったところトンネル内で上りきれなくなって停車。乗客が窒息して慌ててトンネル出口を目指して逃げ出したところ、列車が後退。56人の死者が出る大惨事となった。というもの。今でもトンネル出口にその事故の慰霊碑が建っている、ということまでは私も知っていた。
「いさぶろう・しんぺい」の凄いところはここからである。トンネルとトンネルの間にあるその碑を見せるために、列車が急坂の途中で停車したのだ!!スゲー!!これには心底参った。今は加速力にすぐれたディーゼルカーであり、過積載もしてないので不慮の後退事故などは起こるわけがないとはいえ急坂での停車はなかなか困難なはずだ。おかげで私も、今までほんの一瞬しか見たことの無かった慰霊碑をじっくり見物できたのだ。

驚愕の肥薩線の旅その2「いさぶろう・しんぺい」の3

最初の停車駅、真幸は有名なスイッチバックの駅。当然のように5分ほど停車して乗客を存分に散策させた後、このスイッチバックを売りにするわけだ。それ自体はどこの鉄道でもやってるが、ここはもっとスゴイ。車内放送で「運転士が運転台を変えるために車内を移動しております!」と実況中継。運転士は乗客の注目を浴びながら運転台を移動するわけだ。もはや呆れて言うべき言葉を知らず。
出発後、さっきと同じように急坂の途中で止まって、今度は「日本三大車窓の一つはここです、どうぞ存分にご堪能アレ」だと。たしかにはるかに下に見える京町温泉の風景から遠くは韓国岳、さらには桜島まで!一望にできた。特に桜島はこうして止まって教えてくれないと絶対に気がつかないほどかすんで見えており、これは得した気分。車内放送では「今日のお客様は運がいいですねー、いつもかすんで見えない桜島が見えております」と滅多にないチャンスをゲットしたことを強調しておりスゲー得した気分であったが、後で調べたところでは、もっと運がいいと開聞岳まで見えるらしい。そうだったのか。
ところで「いさぶろう・しんぺい」の名の由来だが、この区間にある長大トンネル「矢岳第一トンネル」の両端のポータル(出入り口)の上に掲げてある扁額を書いた人達の名前である。人吉側の扁額を書いたのが開通当時の逓信大臣・山縣伊三郎、吉松側のは当時の鉄道院総裁・後藤新平である。車内の案内放送では、扁額の文字の説明から書いた人物の紹介から、当時肥薩線が出来た時の苦難の様子やら仔細に説明している。果たして乗客の何割が理解できてるのか、興味を持ってるのかわからないが、ここまで突っ込んでやるというのは徹底している。そして…これまでの様子からやるかもしれないと想像はしていたが、本当にやりやがった!乗客に「扁額を見せるから運転台まで来い」というのだ。トンネルを入る前の急坂で停車して新平の扁額を見物してもらい、トンネルを出たところでもう一回停車して客を最後部に集めて伊三郎の扁額を見物してもらっていた。一体誰がこんなことを考え付いたのだろう。不思議でならない。
次の停車駅、矢岳はこの区間ではもっとも目立たない駅ではあるが、私はかねて見たいものがあった。それは駅前にある人吉市の設置したSL展示館。ここに長い間8620型とD51型の2両のSLが保存展示されていたが、片方の8620型は「SLあそボーイ」の牽引機として奇跡的に復活し、いよいよ寿命が迫って今月限りで引退と決まっている。よって今は1両しかSLはいないのだが、残るD51もかなりスゴイヤツである。かつて人吉機関区に所属し重油併焼の特殊装備を施した矢岳越えスペシャル仕様のD51であり、当然ながらSLブームの時は物凄く人気があったらしい。らしい、というのは当時私は幼児だったので…(^_^;)。話に聞いてるだけだったので長い間見たい見たいと思っていたが、なにせ矢岳駅には一日数本しか列車が来ず、駅周辺にも何もなく、ようやくこの駅で列車を下りる機会を今日得たのだ。「しんぺい」は矢岳では8分停車。すぐさまSLのところまですっ飛んでいって思う存分堪能した。乗客案内の姉さんに「もうそろそろ出発しましょう」といわれるまでずっとかじりついていた(^_^;)。多分、この列車に乗って来てSLと記念撮影した人達のほとんどは、このD51がいかに特別なのか知らないだろうなあ…。なお私個人の意見として、寿命の来た8620に代わるSLあそボーイの牽引機として是非このD51を復活させて欲しいなーと思っているが、多分それは難しいだろうな…
矢岳駅から先は下り坂となり足取りが一気に軽やかになる。次の大畑(おこば)駅は言うまでもなく「大畑ループ」で有名だ。ループ線スイッチバックは全国唯一。まず駅に入る前に、スイッチバックの一部を見下ろせるポイントで停車して乗客に見せる。そこから一気に下ってスイッチバック実行。さっきと同様、運転士は注目の的である。大畑でも5分停車し、乗客を散策させる。真幸でもいたが、大畑にもクルマで乗り付けて列車を見物している人がいる。真幸駅前に止まっていた車は大阪ナンバーであった。
大畑から一方的に下っていって、一気に人吉駅に流れ込む。この区間、線路脇に高速道路が併走していて景色はよろしくない。なくてもさほど良い景色ではなかったと思うが、道路のお陰で単なる高い壁が続くだけで妙味全くなし。私が乗ったのは上り「しんぺい」であったが、人吉発の下り「いさぶろう」では一体どんな案内をするのだろうか。ポイントは同じだとしても見せる順番が異なるわけで、それはそれで興味がある。
もう言わずとわかると思うが、「いさぶろう・しんぺい」はそれ自体が観光資源であり、コレに乗ることが目的の列車である。だから途中で何度も止まっても駅で長時間停車しても無問題。むしろ客が喜ぶのだ。人吉と吉松の間は高速道路も開通して公共交通機関としてはほとんど価値が無くなってしまったが、それを逆手にとって徹底的にノロノロ走る。この徹底ぶりは本当にスゴイ。大変なものを見てしまったという感想である。増結するほどお客が集まるわけだ。

驚愕するほどではないが九州横断特急という名はなんだか変だ

人吉で即座に熊本方面ゆき特急に乗換え。なぜか列車名が「九州横断特急」なのは、さすがにやりすぎだと思う。別府〓熊本間特急「あそ」と熊本〓人吉間急行「くまがわ」をくっつけた変な特急であるが、乗ってるうちにその狙いの一端を見たような気がする。
「しんぺい」の乗客が大勢乗り換えるのかと思っていたが意外に少なく、特急の車内は空いていた。窓側にすわって球磨川沿いを走る景色を堪能。ローカル線ではあるがさすがに特急だと通過するのも速く、気がつくともう八代に近づいていた。うっかりメールも打ってられない。
すっかり寂れた感じの八代を発車すると次の停車駅は新八代であるが、前回ここを通った時には新幹線の威容とはかけ離れたしょぼい在来線ホームを建設中で唖然としたものだが、今回通ってみるとやっぱりしょぼいホームだった。意外と乗客がいたが、八代市のお客さんは八代から乗ってくるはずだからこの客たちは新幹線からの乗換客であると思われる。しかし熊本方面には「リレーつばめ」が同一ホーム乗換で接続しており、わざわざ階段を下りてこっちのしょぼいホームまで来る客というのは一体なんだろう?と思った。そして気がついた。
このお客さんたちはおそらく、熊本をスルーしてそのまま大分方面に乗っていく客なのではなかろうか?そうなると、「あそ」と「くまがわ」をくっつけた変な特急「九州横断特急」の狙いが大分と鹿児島の連絡にあったということに、今頃気がつくわけですな。なるほど、これだと乗換1回で済むから便利だわナァ。そういう客がどれだけ多いかしらないけれど。
新八代から熊本までの景色には、九州新幹線の建設中の様子が見える。まだまだ完成は先だが、橋脚が立ち並んでいているのが見える。昨日はやぶさの中から見た景色では新幹線関連のものはほとんど見えないので、熊本以南の工事を優先しているのかもしれない。熊本〓新八代間が先に開業すればリレーつばめ九州横断特急にも変化が生じるかも知れんな。

バスで締めます

熊本駅から市内バスに乗り、熊本交通センターに移動。やはりバスの方が安いので、家に帰るにはバスを使うことにした。熊本と福岡の間には、高速バスが実に10分おきに出ている。凄まじい本数だ。しかし私は基山PAで降りることにしたので、高速道路内“各駅停車”の便を利用。これは熊本発福岡空港行きということになっている。熊本から基山PAまで運賃わずか2000円。
妹に連絡して基山PAの下り線側でクルマで待っているようにメールしておいた。こうして、基山PA(上り線)でバスを降りて反対側に移動したら妹のクルマに乗換えて朝倉郡の実家までまっすぐ帰れる。私も安く早く帰れるし、妹も私を拾うために駅に寄ったりせずに済むということで、なかなか賢いやり方だったような気がする(^_^;)