隠しキリシタンの謎

「隠し」キリシタンの里が大分に?藩ぐるみで見ぬふり説」…ほほう。大分県竹田市にあった旧・岡藩がキリシタンをこっそり匿っていたという面白い説である。現大分県豊後国は昔は仏教王国だったのが戦国時代に急激にキリスト教が普及し、竹田の領主志賀親次も熱心なキリシタン。領内にはたくさんのキリシタンがいたはずだが、江戸時代になって同地に移封された中川氏がこれらのキリシタンをこっそり匿ったというわけである。
江戸幕府があんだけ徹底的にキリシタンを取り締まったのに、大名が匿うなんてできるの?バレたらかなりヤバいよ?明確な証拠がなくいくつかの状況証拠からの類推でしかないが、妙に辻褄が合うのでもしかしたら本当かもしれない。
TAKETAキリシタン謎プロジェクト」なるサイトは竹田市役所が開設したもので、これ読んでるとついつい信じてしまいそう。もっとも明確な証拠は何もないし、たぶんこれからも出てこないだろうからいつまで経っても推測でしかない気もする。なにせ、バレたらかなりヤバい事なので岡藩としても徹底的に証拠は残してないだろうから。
岡藩に限らず、一部の大名家では同じようにキリシタンを匿ってたかもしれん。そして隠し切れなくなって弾圧に転じたとかもありそう。岡藩はかなり後のほうまでこそこそしてたようで(^_^;)、ついに最後まで匿いきったのかもしれない。
ところで江戸初期にこれらの活動を行ったのは中川家筆頭家老の「古田重治」だそうだが、これって古田織部の義弟・婿養子の古田重継の子孫だよな?時代的には多分子供だろうが、検索すると同名の別人物「古田重治」(伊勢松坂藩・石見浜田藩藩主)が出てくるから最初わからんかった(^_^;) 同時代の同姓同名の別人ってややこしい。