一人でウロウロした件

今日はあいにくの雨ではあるが、嫁が家に友達を呼ぶので私は車で家を飛び出した。いや別に泣きながらではなく、単に一人でドライブに行っただけだが。
特に行先は決めてなかったのだが、なんとなく秩父鉄道の和同黒谷駅に行こうかなと。なぜかと言うと、この駅は元々黒谷と言っていたが和同開珎にちなんで駅名を改称したため、再び硬券入場券を買いに行く必要に迫られていたからであった。
しかし1時間ほど走って、やっぱり遠いということで断念(^_^;) 朝から出発してればよかったのだが、家を出たのが12時過ぎではさすがに秩父は遠すぎる。しかも、3連休の最終日で道路は混雑が予想されるうえに、カーナビでルート検索したら関越道の花園インターで降りないといけないことが判明。あの渋滞名所の花園に!…嫌どす。
というわけで途方に暮れたのが茨城県五霞町の道の駅での出来事。すぐそばに圏央道五霞インターがある。これを使って西に行こうと思っていたが、近場で済ますことにしよう。と、地図を見ながら行先を考えていたら、関城という地名を発見。
南北朝時代茨城県に、南朝方の拠点として大宝城と関城のツインキャッスルがあった。大宝城とは以前から何度か行っている大宝神社のことで、そこの説明書きには城の北方に広がる大宝沼の反対側にある関城と対になって防衛線をひいていたとあった。
じゃあ今度は関城の方に行ってみようと大して考えも無く関城というところに行ってみた。すると!…城ないじゃん。関氏の館跡などはあるが。改めてグーグルマップで確認すると、関城跡は関城という地名の場所から南に結構行ったところあった。そういうことだったか。
改めて訪れた関城跡は…いちおう駐車場は整備されているが、誰もおらずひっそり。さすがに、南北朝時代に落城したまま忘れ去られた城跡に興味持つ人は少ないか。しかし、それだけにこの城には濠など当時の遺構が数多く残り、攻城戦の時に攻撃側が掘った地下トンネルまで残ってるそうな。そういうわけでこの城跡は沼の向こうの大宝城とともに国指定史跡に指定されているのであった。
関城は城の東南西が沼で、北に濠を掘ったなかなかの難攻不落ぶり。で、城から南を見ると目の前に広がるのは農地。さすがに元沼地、家は建ってない。昔はここが一面の水面だったのかなーと想像をたくましくした。
そろそろ家に向かって車を走らせるが、ついでなので近くにある関東鉄道騰波ノ江駅によった。特に何も変わってなかったが、そういえば「騰波ノ江」ってサンズイの漢字が2文字も入ってる地名がここが水辺だったことを示しているナァ、と思った。
騰波ノ江から南下していくと例の常総市に入るわけだが…ご存じの通り2か月ほど前の大水害で大きな被害を蒙った地域なのでその様子を見ながら帰ろうと思ったわけだ。しかし、一見して意外と普通だった。ところどころ土嚢やゴミの小さな山があるくらいで、住民の方々は普通の生活を送っているようだった。ただし、駅で言うと南石下から三妻の間、おそらく堤防の決壊場所の付近は通行止めになっていて近寄れなかった。そこだけはいまだ回復もならず、難儀な状態が続いているのだとわかった。