【お盆特別企画】1985年8月旅行記その7:帯広から網走まで

帯広でホテル泊したのはちゃんと意味があって、今日最初に乗る7時51分発士幌線糠平行きに乗らなければならないからである。なぜこの列車に乗らないといけないかというと、この列車でないと糠平から出ている士幌線代行バスに乗り継げないからである。鉄ヲタには説明不要だが、士幌線の末端区間糠平−十勝三股間)は当時すでに列車の運行を諦め代行バスで営業していた。乗客いないなら廃止すればいいんじゃね?とも思うが大人の事情でそうなっているのだろう。
代行バスは1日2,3本あったと思うが、折り返しのこととか考慮するとこの時間に行って帰ってくるのが最も効率的。というわけでこの列車には鉄がいっぱい乗車することになるわけだ。私の乗った車両はキハ22 602という変わった車両。これは半室を郵便荷物車代用にできるよう蛇腹カーテンが室内中央に設置されており、荷物車にするときはカーテンで仕切る。荷室になる側の座席は荷物をたくさん置けるよう全てロングシート、客室側は通常のボックスシートという変態レイアウトであった。とても変わっているのでもちろんこの車両を選択。
北海道の普通列車はローカル線でも2両編成が基本。主力のキハ22や新型(当時)のキハ40が1エンジン車だったので、冬季にエンジン故障で運行できなくなったら凄くヤバイので2両が基本だと聞いた。Wikipediaによると、冬季に自力で除雪するのにパワー不足だからと書いてあった。いずれにしても冬季の対策のためである。よって、この士幌線も2両で、片側の車両は普通のキハ22である。
列車は十勝平野を淡々と北上、上士幌を過ぎて山が近くなると急激に山岳路線になる。巨大な糠平ダム建設に伴い糠平付近の線路は付け替えられており、列車が山を登っているはるか下の方に旧線のアーチ橋が見えたりする。この区間に電力所前という仮乗降場があり、急坂に作ったので上り列車しか停車できなかった。そして近くにある黒石平駅が下り列車のみ停車という変則運転をしていた。
糠平でいよいよ代行バスに乗り換え。営業を受託しているのは上士幌タクシーという会社で、バスはマイクロバスだったので車内は鉄どもでいっぱいになった。当然非冷房なので窓全開、道路は国道だが大半が未舗装道路で埃が大変だった。とても昭和60年の出来事とは思えない。
幌加駅には駅前まで車を乗り入れる。代行バス区間の線路や駅は一切撤去されておらず、幌加駅の駅舎も健在だったが、運ちゃんの言うにはつい数日前に幌加駅舎にかかっていた駅名板が盗まれてしまったとのこと。また泥棒鉄か!!
そして終点の十勝三股は、思った通りに何もない。45分間の滞在時間に、各人思い思いに付近を散策。私も十勝三股駅の、いちおう現役だけど荒れ放題の駅舎からホームから線路から何かの車庫から見物。駅舎は廃屋としか言いようが無く、線路やホームや車庫は樹木が生い茂り森に還ろうとしていた。駅前に数軒の建物はあったがすべて廃屋だったと記憶している。
十勝三股から代行バス士幌線で帯広に戻って来た時には既に13時になっていた。帯広からは釧路行きに乗り換えてまたまた3時間のローカル線の旅を満喫。キハ22の窓を全開にして海岸沿いの素晴らしい景色を存分に堪能した。しかも、道東に行くと真夏なのにどんどん涼しくなる。もはや日本の気候じゃない。
ついに釧路に到着したが、たった10分の乗り換えで網走行き急行「しれとこ4号」に乗り換え。窓全開にして道東の風景も堪能してやるぜ!と言いたいところだが、標茶に着く前くらいに日没終了。しかもその前に、寒さに耐えかねて窓を閉めてしまった。真夏に激寒、とても日本の気候と思えない。
終点の網走まで乗り通したが、既に20時半。次の列車は…もうおなじみ!!急行「大雪4号」!!一体何回同じ列車に乗るねん!!もう3度目!!しかも車両まで、一昨日乗ったのと同じオハ14 525である。