0章 北斗星の夜

7月2日を語り始める前にまずは前日夕方から記述しなければならない。私は1日の日記を手短に書いた後外出し一路上野駅を目指した。上野…私には心の駅ではないが、暗くて狭い13番ホームからはひっそりと寝台特急が出発しているのである。私が乗車するのは「北斗星3号」、残念ながら個室寝台は取れず久しぶりに二段寝台の上段に寝ていくことになった。いまどき寝台列車で満席になるのは北斗星くらいのものだろう…カシオペアトワイライトエクスプレスは別格として。
私の乗車した2号車はオハネ25 20と書いてあったと思うが、24系25型の初期車(0番台)である。まだこんな車両があるんやなあ。幼少の頃から時々寝台列車には乗ったが、それは24系25型の100番台車であり、記憶をたどると0番台車の上段寝台に乗るのはこれが初めてだと思う。で、何に驚いたかというと、上段寝台には必ずあると思っていた小さな折りたたみ式の棚がない!ここに良く小物を置いて寝ていたので、これがないというのは面食らった。あと、0番台の上段寝台は寝台の上げ下げをするための仕組みが残っている(100番台は寝台を固定)が、金属のヒンジがむき出しになっていて触れるととても冷たい。
まあそんなマニアックな指摘はさておき、久しぶりに個室でないということで生来の神経質なところが復活して、よく眠れなかった。悲しいことに、自分のイビキで目が覚めるという鬱な状況が何度もあった…。酒でもくらってとっとと寝ようと思っていたのだが、缶チューハイでは酔いが足りなかったようだ。

1章 朝の函館

函館着は6時34分、寝過ごしたら次の停車は2時間後ということで起きられるか心配だったがそれは問題なかった。寝てないような気がしていたが意外と元気なのでそれなりに眠れたんだろうとは思う。函館駅は改築して小ぶりで機能的な駅に生まれ変わったのだが、去年来たときには降りてないんだよな?多分新しくなってから降り立つのは初めてなはずだ。というわけで何がどうなったのかよくわからんが、とにかく朝市の方に行って朝食を探す。
さすが朝市で有名だけあって、こんな早朝から活気がある。ところで私は昨日預金を下ろさないで旅に出てしまい、財布の中には2000円ちょっとしか入ってない(^_^;)。こんな状態で朝市に行ってもお土産は買えないわけで飯を食うのがせいぜい。そういうわけなので客引きに合うのがとてもイヤなので、市場の外側を回りながら少し外れた店で「うに丼」を食す。金ないくせに2000円のうに丼なんか食ってるわけだが(^_^;)、9時になったら金おろせるからいいの。さすがうに丼、デリシャス。
朝からそんな贅沢したせいか少々腹の具合が悪くなったりしたが、8時の開店と同時にレンタカー屋でレンタカーを借りて出発。目的は渡島半島の南端部を一周することで、北海道のたいていの海岸べりは走ったのだけど道南がまだ手付かずだったのでこの際に、と。ところが南端といっても北海道はかなり広いのである。一日で回れる範囲が良くわからないまま、とにかく出発。

2章 戸井未成線を訪ねる

函館駅に着いた時にはまだ雨が降っていたがクルマで出発時には雨は上がった。出発してまず最初にしたのは…今日泊まるホテルの場所と名前を確認(^_^;)。場所は大体覚えてきたのだが名前をすっかり忘れてしまったので、位置確認のついでに思い出しに行ったわけだ。それから、一路東に向かう。途中で函館競馬場の前を通る。明日は競馬場に行くぜ!と心に誓いながら。
渡島半島南端の東側、旧戸井、恵山南茅部、椴法華といった町村は全て函館市と合併したので、どこまで行っても函館市内である。しかし景色はあっという間にド田舎のそれに。函館から旧戸井町へは戦争中に国鉄戸井線というのが建設されたが途中で放棄されたので、その跡を探しに行くのが目的の第一である。跡といっても戸井町内にほんのすこしだけと聞いていた(リンク先を見ると函館市街地にも廃墟があるようだな。しまった…)が、それは確かにあった。おお、すげえ…鉄道の未成線があると必ず「これが出来たら乗っていたのに…」と思うのだが、戸井線の場合は周囲の田舎ぶりから言って完成していても私が生まれる前に廃止になってたような気がする…。それにしても、作りかけで放置されて60年も経っている遺構というのは哀愁もひとしおだ。使われないままの廃トンネルなんて何か出てきそうでとても怖い。思わず拝んでしまった。
今の時期、もっとも雑草がボウボウに生える時期なのでこのような廃線の旅は雑草との格闘になるわけだが、なにせ60年モノの廃墟だけにまったくの草ボウボウ状態で近寄るのも一苦労。「わーい線路跡だー!」と喜んで突っ込んでいってクモの巣に突入してしまったり、草についた雨つゆでびしょびしょになったり。それでもしつこくチェックしていると、ほんの少しだけだが線路跡を車で走れるところを発見!さっそく車を乗り入れて線路になるはずだった橋の上を車で走行。気持ちエエ〓。ちなみにその先は民家だった。
戸井の線路跡で遊んでいるうちに郵便局が開いたので、やっと金を下ろした。これでジュースが飲める。

3章 温泉渡り歩き

戸井から恵山に向かい、恵山温泉で一回目の湯浴み。ここの温泉は強酸性、石鹸は使えませんとな。確かにお湯の成分で茶色やら青やらメチャメチャな色合いに染められた湯船を見ているとこれはスゴイと思える。各地で色々な温泉に入ったが、こんなに濃い温泉は久しぶりだ。湯をなめてみると「毒入りか?」と思えるようなスゴイ味わい。湯温が少し低かったので熱がりの私には快適そのものの湯であった。窓をあけて涼しい空気を浴びながら長湯してしまった。
遠回りした上に長湯して時間を費やしたので先を急ぐ。渡島半島南端の東側は意外と家屋が尽きなくて小集落が延々続いている。ずっと海岸べりを走って鹿部まで。ここでまだ生きている線路…函館本線鹿部駅に寄ってみた。鹿部駅は今年4月から無人化したらしい。列車本数から行って当然だろうな…。この鹿部駅の周囲は、別荘や一戸建てがけっこう一杯建っている。どれも広大な敷地で森林に囲まれている。悠々自適に生活している人がこの辺には多いみたいだ。
ここからさらに函館本線の通称「砂原線」沿いに渡島砂原を通って森町へ。ここでもう13時になってしまった。20時までに車を返さなければならないのであと7時間しかないが、どうしよう。地図を見ながら時間を計算して、とりあえず八雲まで行ってそこから日本海側に抜けようと決めた。飯も食わずに北上する。
ところが、途中にある濁川温泉を無視しえずにまたしても寄り道(^_^)。濁川温泉は浜から5kmほど入った山の中にあって少し寂れ気味ではあったが、私が入った「にこりの湯」のお湯は十分に快適だった。たださっき入った恵山温泉の湯が強烈過ぎたので、それよりはずいぶんまともだった。露天風呂は周囲を蚊帳で張ってあったが、、この時期虫が一杯出るだろうから仕方ないこととはいえちょっと「露天風呂感」が減少したのは残念。

4章 お祭りに遭遇

濁川温泉に寄り道してますます時間がタイトになった。あとは飛ばすしかない。しかし…あれはどこだっけ…70km/hくらいで走行していたら道警得意の「物陰作戦」で建物の物陰に隠れていたパトカーに遭遇して「やられたか!?」と思ったが、この程度ではお巡りさんのターゲットにはならないらしく命拾いしたというのがあったので注意しながら安全運転で進行である。噴火湾に面した八雲町から日本海側の熊石町まで「雲石峠」を越える国道230号線をひた走り。そうすると雲が立ち込めてきて前が全然見えない濃霧状態に。しかも峠なので道は右に左にくねりまくり。なんとかそれを越えたら、熊石側はえらくいい天気で暑いくらいだ。この天気の違いはいったいなんなんだ。
熊石から乙部、江差檜山支庁の各町を海岸沿いにひた走る。凄く遠くの方に渡島半島の南端部が見えるけど、あそこまで走って行かなきゃならんのか…地図で見るのと実際に走るのでは、北海道の大きさは全然違って感じられる。北海道でかすぎるよ。
やっと江差町まで来た。まだ飯を食っていない。いくらなんでも腹が減りすぎなのでここで食事しようとゆっくり流していると、海辺でお祭りをやっているのに出くわした。幕末の戦争で沈んだ幕府の軍艦開陽丸の近くのかもめ島というところでなにやらお祭りを催していたが、おおきなしめ縄を打っているところだったが何をやっているのか判別できず。老若男女が集まっていたので何か楽しげではあったが、私は出店のやきそば300円を大急ぎでほおばった。朝のうに丼2000円とは大きな落差だ。
江差から隣町の上ノ国まではJR江差線が併走。この線路は去年乗ったばかりだが、とうとうこの線路も廃止の話が出た。近いうちにここに新たなる線路跡が誕生である。とかくと、路線廃止を嘆いているのか線路跡の誕生を喜んでるのかわからんな(^_^;)。

5章 勘で探り当てる線路跡

実は江差までの道路は大学生の時に走ったことのある箇所だったが、江差から南は初めて走る道だ。というわけで気合入れて走り始めた矢先、道路標識に「松前55km 函館150km」と出る。あと150kmも走らなきゃいかんのか…17時なのであと3時間ある。余裕といえば余裕だが。
江差から松前までの海岸沿いには目立った集落は見られない。かなりの過疎である。やはり日本海側は気候も厳しいのだろうか。そういえば熊石あたりからここを見た時に巨大風車みたいな風力発電装置が何十基も並んでいるのが見えて非常にシュールだったが、近づくと全く見えないのは巧妙にカムフラージュされているのか(違う)。高台にあるので近づくと見えないのだろう。そういうところをひたすら走って、ようやく松前市街が近づいてきた頃、道路の左側にいかにも線路跡のような怪しい橋脚と橋台を発見!!どう見ても線路用に見えるのだが、松前よりも北に線路を伸ばしたなんて聞いてないし。とりあえず激写しておいた。帰宅後の調査では、やはりこの遺構は線路跡、国鉄松前線の未成線松前〓大島)だそうである。なんと自宅に所蔵している「鉄道未成線を歩く 国鉄編」の55ページにしっかりと載っていた。戸井線は知っていたがこっちはノーマークだったよ…
実は同じような遺構は旧松前駅付近でも見つけた。駅跡はすぐわかったのだが、どうもそこから西にさらに線路があったような跡が残っている。いかにも線路跡のようなカーブを描く道路が続いているので、時間がないのに面白がって車で線路跡と思しき道路をたどっていったら自衛隊の基地にあたって以上終了。しかしあれはやはり線路跡だったのだ。「知らずとも 勘で判別 線路跡

6章 線路から離れては生きられません

線路跡をたどる旅はまだ続く。松前から東は開業した線路跡、しかも中学生の頃その線路に乗っているのだ。松前駅跡から東に行くとすぐに松前城にぶち当たる。鉄道はこの付近をトンネルでクリアーしていたのだが、それを忘れた私は線路跡を探して城跡を2周してしまった(^_^;)。しかしこの松前城は城内を車で往来できる珍しい城跡である。おかげで線路跡のついでに城跡まで堪能してしまった。
国道228号線を松前から函館に向かって激走しながらも、目は線路跡を探して余念がない。いや、全く余念が無いとまっすぐ走れないわけだが。いくつか旧松前線の橋脚を見つけて、中途半端に残ったままの橋桁なんかに哀愁を感じたりしているうちに時間はドンドン過ぎていくわけで。これはいい加減にしないと間に合わないなあ、と思いつつも、あと95kmを2時間で行けばいいのだから楽勝だ、とも思える。
この区間は海沿いは険しすぎるようで国道も山間部に入ったりして景色としてはイマイチ。でも北海道の景色は十分に堪能できる。渡島福島駅跡は「青函トンネル記念館」になっていた(検索してみると、福島町の記念館は既に閉館したそうな…私が見たのは記念館の廃墟なのか)。渡島知内駅跡はバスターミナルになっていたが、それを探すのに草むらに突っ込んだりして大変だった。もうすっかり夕暮れなのに(^_^;)
木古内町に入ったら再び「生きた線路」に出くわす。もう線路跡を探してソワソワしなくて済む、と安心(^_^;)。ところが今度はその生きた線路を長大貨物列車が走ってきた!ウヒョーウヒョー!!!懲りない私。
北海道は日暮れが早いとは言うが、この時期19時になるまで外はなんとか明るかった。函館市内に入り、レンタカーを返却したのは19時半。とっとと飯食ってホテルに入って寝ようと思って朝市の市場に行ってビックリ!!…店がほとんど閉まってる(^_^;)。さすが早朝から店開けてるだけあって、夜が異常に早いよ。私はただ単にラーメン食いたかっただけなのに。ラーメンは市内の別の場所でなんとか食えた。しかし、どこも同じだろうけど、地方都市の市街地の空洞化振りはかなり深刻ですなあ。
ホテルは五稜郭の近くにあるのでそこまで路面電車で行った。五稜郭では今晩お祭りが開かれているようで、やたら若者が馬鹿騒ぎしていた。私はそれを横目で見ながらホテルに入り、速攻で寝た。