やっと手に入れたもの

気がつくともう2月の最終日。出勤するとすぐに勤務表に今月の記録をつける。…ううむ、なんという残業時間の多さよ。暇になったらここで稼いだ金を使って行方をくらましてやる…そうでも思わないとやっておれません。
実はまだ買ってないものがあった。毎月20日が発売日である鉄道ジャーナル誌である。先週は本屋が開いている時間に帰宅できた日が平日に1日しかなく、その日(確か23日)に浦安の本屋に行ったら鉄道ジャーナルは無かった。よく配本の遅れる雑誌ではあるが、浦安市内の本屋はどうもこういう手合いの雑誌の在庫状況が良くない。で、土曜は引きこもってて、日曜に探したけどもう無かった。そらそうだよな、一週間経ってるもんナ。
それで今日は昼休みに日本橋界隈で探すことにした。日本橋には何でもあるが、本屋はサッパリ見かけない。表通りの見えるところに無いだけだろうと思ったが、教えてもらったのは川の向こうの三越本店・新館にある本屋であった。川向こうといってもすぐそこだけどね。
そこでやっと手に入れたわけですよ、鉄道ジャーナルを。いやー、やっぱり鉄道雑誌はいいですな〓(^_^)。最近我ながら妙に元気が無いなと思っていたが、やっとそのわけがわかった。「鉄分」が不足していたのだなあ(^_^;)。もっと鉄道に強く親しまないといかんな。昔はそんなこと意識しなくても良かったのに、今はそうではない。悲しいことだ。
今日は19時には引き揚げたいと思っていたが、20時半まで勤務。まだまだ、ヒマには程遠い。

ブルートレインは死に絶える

寝台特急さくら、あさかぜ歴史に幕 長崎駅などで出発式」…今日のニュースサイトを飾る大?ニュース。実はここで白状しなければならないことがある。私は今年のJR3月ダイヤ改正は慣例によって3月14日だとばかり思っていた。つまり、ダイヤ改正は明日であることも、今日で「さくら」「あさかぜ」が終わりだということもすっかり気がつかなかったのだ(^_^;)。大丈夫か私は?
話がそれたが…かつてブルートレインブームが起こったときの主役だった「九州特急」のさくらとあさかぜが廃止になってしまうのは、もちろん寂しい。私が鉄道マニアとして目覚めたとき(もっとも始まりは単なるガキ鉄であったが)、もっともあこがれてやまない存在は私の身近にあった博多発東京行き「あさかぜ4号」であった。ブルトレについて語りだすと夜が明けて日が暮れるからここら辺にしておくが、昨今の九州特急の凋落振りはかねてから嘆きに嘆いていたので、もはや「さくら」と「あさかぜ」が廃止されるからといって新たに嘆くようなことはもうない。来月からは「富士・はやぶさ」のたった1往復のみになってしまうが、現状のままではこれもそのうち消えるだろう。九州特急が死に絶える前に何らかのアクションを期待したいところだが、JRには元からあまり期待していない。
私の記憶によれば、国鉄の改革が議論されていたさなかの昭和53年に「夜行列車全廃論」というのが出て各方面から猛烈に批判されたということがあったらしい。廃止論者の主旨は「もはや夜行列車の時代ではない。これからは飛行機や自動車や新幹線の時代だ、効率の悪い夜行列車は客が減る一方だからとっとと廃止したほうが良い」という感じだったと思う。なんてとんでもないことをいいやがる、と思ったものだが、これはやはり時代を先取りしすぎたということだろうな。
皮肉にもブルトレブームはその昭和53年10月ダイヤ改正での絵入りヘッドマーク・テールマーク導入がきっかけだったと思う。それから四半世紀経ち、今晩テレビで見た「さくら」の車体は完全にくたびれ果てている。「あさかぜ」の栄光のヘッドマークはボロボロだった。きっと国鉄国鉄のまま、あるいは分割しないで民営化、などの道を選んでいたら、かつての国鉄の栄光を一身に背負った九州特急がこれほどまでに哀れな姿を晒すことは無かっただろう。JRにもはや国鉄の栄光無し。自分の歴史を大事にしないやつばかりになってしまったな。

補足だがや

「あさかぜ」廃止についての新聞の記事がいずれも「昭和29年に誕生した戦後初の東京〓九州間の直通特急で昭和33年に“ブルートレイン”に置き換わって「走るホテル」といわれた」とばかり書いてあるので、ついついマニアックに「をいをい違うだろ」と言ってしまいたくなる。これだから素人は…って大半の人にはどうでもいい違いしか無いけどね(^_^;)
前述の「あさかぜ」は私が大好きだった東京〓博多間のあさかぜであり、これは残念ながら1994年に臨時列車となって事実上消滅した。もう10年前のことだ。今日まで走っていた「あさかぜ」は記憶によれば確か昭和43年に誕生した(と思う)東京〓下関間の増発便「あさかぜ3・2号」で、急行「安芸」を格上げした列車だったと思う(記憶ばかりで書いているので間違ってたら御免)。区別して「下関あさかぜ」と言っていた。下関で終点ということは関門間でステンレス機関車に付け替えないということで、九州特急の一員とは思ってなかった。
この「下関あさかぜ」には実は乗ったことが無かったので、一度乗っておきたかったナァ。あさかぜという列車名自体の消滅も寂しい。なんとか、新幹線夜行列車なんかで復活しないものかね…鉄の妄想ですけど…