国鉄最後の日から30年

今週やけに国鉄ネタの記事が多いなと思ったら、今日3月31日は「国鉄最後の日」からちょうど30年だそうだ。あの大混乱の日からもう30年も経ってしまったのか。私も、歳をとったな…(遠い目)
あの日何が起こっていたかを記していたかと思ったが、当VOYAKIを検索したら出てこなかったので改めて。
そもそもあの大混乱の発端は「謝恩フリーきっぷ」発売に始まった。国鉄最後の一日限り、日本全国の国鉄線に乗り放題、特急も自由席ならOKという破格の条件で値段も大人6000円だったから、鉄ヲタである私としては当然のごとく入手に奔走した。
1987年3月20日、当時高校生だった私は昼頃に国鉄博多駅に出向き、「謝恩フリーきっぷ」購入の列に並んだ。たしかまだ40人くらいしか並んでいなかったと記憶している。それが4列くらいになってだだっ広い博多駅コンコースの一角に列を作っていた。発売は翌21日10時。これから22時間にわたって行列に並び続けるという地獄の苦行の始まりであった。
若かったこともあり、私は「絶対にキップを手に入れる」という気合いに満ち満ちていたので一晩徹夜の行列も耐えられた。列も次第に長くなり、夜明けくらいから急激に長くなった。たしか博多駅での発売枚数は600枚だったと記憶しているが、朝には「これ以上並んでも買えません」と駅員が案内していたように思う。発売開始の10時が近づくといよいよ雰囲気はピリピリムードになり、早く売り出せという熱気がすごかった。無事入手出来てホッとしたものだ。
1987年3月30日も行列を作った。国鉄全線一日乗り放題、となればできる限り遠くに行きたいと思うのは人情(^_^;) 博多駅からの場合は当然、新幹線に乗って東京に行くことになる。切符購入時の騒ぎからして、31日当日はもっとすごいことになるであろうことは高校生にも容易に想像がついたので、前日の21時過ぎに駅に行って翌朝始発の東京行き「ひかり20号」に乗車する列に並んだ。
人の考えることはみな一緒で、既に結構な列になっていた。もっと早く来ればよかったと思ったが、とりあえず乗車できるのは間違いない程度だったのでこのタイミングで来てよかったとも思った。それから一晩ひたすら並び続けた。
夜が更けるにしたがって疲れも出るし、雰囲気も悪くなってピリピリしていく。そのピリピリムードが急激に上昇したのは、翌朝5時のこと。上り急行「かいもん」が博多駅に到着して、在来線改札の方からものすごい数の人間がこっちに殺到してくる!マジか!?これはヤバい!!!鹿児島や熊本など九州西半分の利用者を一気に集めて、これは大変なことになった。
その後新幹線改札が開き、私は余裕で窓側座席ゲット。たぶんE列だったと思うが記憶は曖昧である。6時発上り一番列車「ひかり20号」は通路まで超満員で博多を発車した。いやはやこれはヒドイ有様だ。
しかし、これは大混乱のほんの序章に過ぎなかった。
真の混乱は次の停車駅、小倉で発生した。小倉もホームいっぱいに乗客が待っているではないか!!上り急行「日南」で宮崎・大分からやってきた人を中心とする九州東部の利用者が集まったのだろうが、これ全部乗るの絶対不可能!!!
おそらくは大量の積み残しを残して、いきなり大幅に遅れて小倉を出発した。
次の広島でも、その次の岡山でも当然ながら大量の乗客が待っていた。これらの駅は小倉と違って始発列車があったので利用客はそっちに流れただろう。小倉が一番酷い目に遭った駅と言えよう。
こんな感じで東京駅には10分強遅れて到着した。もはや旅を楽しむ雰囲気ではなく、国鉄の名残を惜しむ雰囲気も全くない。ただあるのは混雑、そして混乱。
東京に来たはいいが、何か用があって来たわけではないので帰りまで何するか困った(^_^;) とりあえず、当時未乗線だった埼京線(正式には東北本線の赤羽−浮間舟渡−大宮間)に乗った。
で、東京駅に戻ってきたが、行きのあまりの混雑ぶりを思うと帰りはもっと酷かろうと高校生にも容易に想像がついたので、さっさと帰りの列車・下り博多行き最終「ひかり31号」の乗車列に並んだ。出発までまだ2時間以上あり、その前に博多行きが2本くらい出るはずだったが…たしか、列に並んでたが満員になって次の列車に乗れ、という指示を2回くらい受けてようやく最終列車に乗れた、という感じだったという記憶があるが、座りたいので敢えてパスして最終列車を選んだかもしれない。
予想通り、「ひかり31号」もものすごい混雑だった。私はたしかA列に座ることができたが、当然のように通路まで超満員でトイレに行くことも不可能。乗車列はまだまだかなり長かったが、とても全部は乗らないので次の列車に回されていた。九州から来て、この列車に乗れなかった人はいたと思われ、2時間前から並んだ自分の判断はナイスだったと思わずにいられなかった。
こんな状態で出発して、次の停車駅である名古屋に着いたらどうなるか、という話だ…いやはや、ホームは阿鼻叫喚、よく見てないが積み残しの山だったと思われ。なんというか、車内はどんよりというかうんざりというか、何とも言えない重たい雰囲気で、疲れたし一刻も早く博多に到着してほしくて仕方がなかった。しかし列車は遅れ、定刻より20分ほど遅れた23時37分ごろに博多に到着した。
疲れ果てて在来線ホームまで移動すると、次の鹿児島本線下り列車は0時13分発と日が変わる。改札を出なければ終電まではOKなのでそれに乗車して帰宅しようと思って列車を待っていた。すると、0時ちょうどにいきなり外から花火が連発して上がり、その音に驚いた。どうやら、駅前でJR発足記念イベントが始まったらしい。派手なお祭り騒ぎの音を聞いて、大変白けた。何がJR発足だ、馬鹿馬鹿し過ぎてそのイベントに参加する気力は全く湧かなかった。
とにかく国鉄最終日とはこういう日であった。なお、下り急行「かいもん」が博多駅を出発するのは所定では23時59分であったが、それが出発したという記憶がない。列車が遅れていたのか、それとも気が付かないほど疲れていたのか。ちゃんと出発していれば、おそらくは超満員の急行を見送っていたのだと思うが。