【お盆特別企画】1985年8月旅行記その14:函館から九州まで

長かった旅もついに最終回!最後は3日分一挙に行きます。
青函連絡船2便に乗って名残惜しいが北海道を後にする。夜間の航行となる2便も当然ながらかなりの混雑だが、この便も自由席グリーン券を使って着席らくちん旅。行きも帰りも夜間便を使ったため、青函連絡船については景色が見えないばかりかずっと寝ていたので船内の様子も覚えていない。ちょっともったいなかったかもしれない。
青森からは4時49分発、盛岡行き特急「はつかり2号」に乗車。既に述べたが、道内のフリー乗降区間を既に出ているので特急列車に乗るには特急料金が必要。だから盛岡行きの特急なのに特急料金をケチって八戸で降りる計画である。しかし連絡船からの桟橋激走席取りレースに敗れ、八戸までの全区間を立席という悲しい結末となった。せっかくの583系だったが、苦痛しか残らなかった。この結果を見ると八戸で降りて良かった。そのまま乗っていたらいったいどこまで立席で行かなければならなかったのか、考えただけでも怖い(おそらく終点まで立席)。
八戸から乗った普通列車は客車だったが、まだ新しい12系だった。もともと急行や臨時列車用として作られた12系だが、この時点ですでに普通列車への転用が始まっていた。冷房がついているので、基本的に窓は開けられない。ちょっと残念。この列車は盛岡行きのはずだが終点手前の好摩で降りるというわけのわからないことをやっている。多分、硬券ゲットのためだろう。後続の盛岡行きまで1時間以上も待った。
盛岡から一ノ関までは新幹線に乗らず普通列車に乗車。今度は50系客車で窓全開。そして一ノ関駅で事件は起こった。時間があるので硬券入場券を買おうと改札口で途中下車を告げたが、駅員に咎められた。帰りの切符は「北海道ワイド周遊券」のB券だが、この券は道内フリー区間券と帰りの切符が一緒くたである。道内で散々途中下車したので券面は途中下車印でいっぱいになっており、もう途中下車印を押すところが無くなっていた。
その切符を見た駅員が「押すところが無くなっているので新しい券に替える」と言ってるらしいのだが、かなりの東北訛りで九州の人間には何を言ってるのかサッパリ理解できない。だから何度も何度も聞き返して、ようやく意図が理解できて焦った。この大量の途中下車印は私がその駅に降りたという証明であり、勲章でもある。それを取り上げられたらたまったもんじゃない。それは嫌だと全力て否定して食い下がり、駅員と押し問答の末なんとか駅員を引き下がらせた。実に危なかった。
一ノ関から仙台、仙台から平まではいずれも455系電車で、特に一ノ関から仙台まで乗った車両はクハ455-609という珍車。455系は急行用電車だが、東北新幹線開業により急行列車が激減していたため普通列車への転用が進んでいた。が、長編成の急行列車から短編成の普通列車に移転するには先頭車が不足したので、中間車に運転台を後付けした改造車が多数誕生した。
クハ455-609は元グリーン車サロ165の改造車で、しかも窓が一段下降窓から二段式の窓、いわゆる「田窓」に改造されている。このグリーン車を先頭車化改造したタイプは九州には多くいたので結構よく乗ったが、東北にも少数が存在した。たまたまそれに乗ったわけだ。
平から土浦まで415系に乗る。この車両は九州にも同型があり安心感がある。土浦に着いた頃はもう夜なのだが、ここでもうひと押し。話は飛ぶが、1985年の大イベントと言えば「つくばEXPO」ことつくば科学万博である。万博開催により土浦周辺の交通は特別態勢が取られていたわけだが、国鉄でも臨時駅「万博中央」開設や多種多様な臨時列車の運転など、積極的に対応した。この旅の最後の目的はこの万博関連の列車乗車・撮影や万博中央駅の硬券入場券ゲットである。
そして今晩のお宿に選んだのが「EXPOドリーム号」である。これは土浦発万博中央行きの“寝台列車”で、土浦を21時50分に発車、列車はすぐに引き上げ線に入ってそこに一晩停車。翌朝おもむろに動きだし8時3分万博中央到着というものである。いちおう発駅と着駅があるので“列車”と言えばそうなのだが、土浦と万博中央は距離およそ9㎞、10分弱の近さ。
これは事実上の列車ホテルであり、土浦のホームに据え付けていたら邪魔なので引き上げ線に退避させたと思えばよい。万博開催期間中の宿泊施設不足に対応するために“運転”された苦肉の策ではあったらしい。だがそれが鉄ヲタの強い興味をひき、今回敢えて乗車ということである。
車両は583系寝台電車を用いるとあったので、初めて583系の寝台に乗れるとワクワクしていたが実車は20系寝台車であった。いや、20系客車もすごく好きなので嬉しいのは嬉しいが、20系には既に乗ったことがある。583系じゃなくて少なからずガッカリした。しかし、これまで毎晩のように固い座席車で睡眠をとっていた身には20系の狭い三段寝台とは言え“自分一人だけの空間で横になれる”という事だけでもう気分は天国。上段寝台だったので物凄く狭かったが、嬉しい思い出しかない。寝台列車とは言えほとんど動かないこの列車の寝台料金は3000円に抑えられた。これは普通の三段式B寝台車の料金5000円(583系の下段寝台のみ6000円)に比べて破格の安さだったのも嬉しさ倍増である。
翌朝、万博中央駅に着いたら、普通の人は万博会場に行くところだが私は駅に留まり2時間あまりひたすら列車を撮影していた。EXPOドリーム号を牽引していたEF80をはじめ様々な珍しい(九州から見ると)列車を撮ってご満悦だった。
その後東京都心に出てブラブラした後、東京駅から特急「あさかぜ1号」に乗車。連日の寝台車乗車で最後に派手に贅沢をかます。そのまま博多に帰るかと思いきや、なんとこの列車を門司で降りて後続の普通列車で博多を目指す。なぜこんな勿体ない事をするかというと、所持している切符に関係がある。
先にも書いたが私の持っている福岡市内発「北海道ワイド周遊券」のB券は道内フリー区間と帰りの切符が合体している。その切符を持ったまま福岡市内の駅で降りると、下車前途無効のため切符は回収されてしまう!!それだけはなんとしても避けたい。ので、福岡市内の手前、古賀で途中下車して、別途切符を買って家に帰ったのであった。ちなみに古賀じゃなくても筑前新宮で良かったはずだが、なぜ古賀なのかはもう思い出せない。

というわけで16日間をかけてひたすら列車に乗り続けた旅は終わった。もうこんな旅は一生できないだろう。あの時私は若かった…。