【お盆特別企画】1985年8月旅行記その13:函館から札幌を通ってまた函館まで

函館から乗車した夜行列車・41列車は、長万部から函館本線(いわゆる山線)を経由し、小樽を通って札幌まで行く列車である。カーペットカーでなんとも混沌とした一夜を過ごし、札幌到着は6時45分。それからわずか15分の乗継で網走行き特急「オホーツク1号」に乗り換え。だが、これも滝川で下車。
ここから、道内でも完乗がなかなか難しい部類に入る札沼線に乗り換える。札沼線は当時からすでに末端区間の列車本数が少なく、乗り継ぎの便は極めて悪い。札幌から新十津川までまともに一往復してたらとても時間が足りないので、効率を追求してまずは滝川まで行き滝川駅から新十津川駅まで国鉄バスを利用する計画である。滝川と新十津川は川を挟んだ向かいにあり、バスですぐ行ける。
新十津川役場前バス停でバスを降りると、新十津川駅はすぐ近くである。記憶が定かではないが、2両が基本の北海道の列車ながらここは1両編成だった気がする。当然、客は少ない。私と同じルートでこの列車に乗ってきた鉄ヲタも皆無だった。こんな札沼線だが、途中駅で増結して終点の札幌に着くころには乗客多数の立派な普通列車となっていた。
札幌に戻ってきて、この札沼線踏破をもって道内の国鉄は一ヶ所を残してほぼ完乗。名残惜しいがついに帰途につくことになる。
ところで、道内では毎晩夜行列車に乗ってホテル泊を2泊しかしていないが、実は食事も大半が駅そば。そばを基本に、間食として食べていたのがキオスクで買える8分の5チップ。駅構内で食事を完結するために、このような組み合わせとなる。そんな生活をずっと続けていると、無性に食いたくなるのはコメ。この頃になるともう、コメが食いたくてイライラしていた。札沼線から乗り継ぐ特急のホームで列車を待っていたが、ホーム上に駅そばではなく駅カレーの売店を発見してついに思いが爆発!真夏のくっそ暑い中、汗をダラダラ流しながらアツアツのカレーをホーム上で食っていた。ああ、なんてうまいんだコメ!
次に乗る特急列車は函館行き「おおぞら4号」。「おおぞら」とは札幌と釧路を結ぶ列車だが、一往復だけ函館と釧路を結ぶロングラン列車がこの当時まだあった。これは函館−網走間特急「おおとり」と同様、北海道の特急が函館中心に構成されていた頃の名残である。激混み必至だったのでカレーを食いながら真夏の札幌駅で一時間並んでようやく乗れた。暑かった。
その「おおぞら」を長万部で下車し、改めて函館行き普通列車128列車に乗車。これが北海道で乗る最後の列車となる。なぜこれに乗り換えるのか?最後に旧型客車の列車に乗っておくという楽しみもあるが、この列車が森から大沼まで函館本線の支線、いわゆる砂原線を経由するためである。
函館本線七飯−大沼−森間は勾配対策のために線路が複数建設されているが、特急でここを通ると最短経路となる七飯−大沼間支線(通称藤城線)と大沼−森間大沼公園経由で走ってしまう。敢えて普通列車に乗り換えることで砂原線と大沼−七飯仁山経由を乗車し、これをもって道内国鉄完乗とするのである。
で、この列車が砂原線走行中に日没終了となるわけやね。海沿いのなかなか良さそうな景色を見ていただけに残念な気もする。仁山は仮乗降場の扱いだったが列車交換ができ、SL時代は下り列車のみスイッチバックしていた駅として著名であった。
函館には20時前に到着。しかし普通列車の悲しさで接続する青函連絡船は無く、0時40分に出航する2便までかなり長時間をここで待つことになった。